Qの箱庭

ショートストーリー仕立ての毎日

なうろーでぃんぐ、なうせーびんぐ

今日は人参を切っていた。画像はまだない。

 

 

一緒に住んでいる、猫のような同居人「あいる」

(ちょっと前まで「猫」と表記してたけど誤解されそうなので

ギリシャ語の「猫」=「アイルーロス」からネット表記用の名前を拝借した)

と街まで遊びに出かけて、

楽しかったけど帰る頃には疲れきって寝て起きて、それから晩ご飯をつくった。

 

疲れきって帰宅しているときには晩ご飯のことなんて考えられなかったけど

起きてみたら意外に普通につくれた。

目覚めたらそれまでの楽しかった記憶が少しだけ薄れて、

代わりに晩ご飯のことを考えられるようになっていた。

 

 

 

記憶が薄れる、というのは

なんだか寂しいような、勿体ないような

そんな気がする。

 

でも、いつまでも大事に抱えていてはちっとも先のことを考えられない。

だから記憶が薄れるのは大事だし必要な機能だ。

 

 

……でも、機能とか必要とかそういう問題じゃない。

いつまでも大事に抱えていたい。そんな記憶だってある。

だからわたしは記録することにしている。

 

昨日の夕飯。昨日会った人。昨日話した会話の内容。

わたしは他人よりものを忘れやすいので、尚更

できるだけ大事に大事に記録していくようにしている。

 

 

 

記憶はできたての晩ご飯で、最初は湯気も出ている。

あたたかくて美味しい。けれどやがて冷めてしまう。

冷めるのは仕方ない。でももう一回くらい、美味しく食べたい。

 

記録はラップで、料理を閉じ込めておける。

できたての美味しさはもう取り戻せないかもしれないけれど、

レンジでチンすれば、もういちど湯気は戻ってくる。美味しく食べられる。

 

 

 

美味しいものは二回以上味わいたいので、

わたしは今日も記憶にラップをかける。

できるだけ丁寧に今日一日の記憶をロードして、その記憶をセーブする。

 

このセーブデータが、意外に後から読み返すと自分の役に立ったり、

失敗したり落ち込んだりした時の復活地点になったりする。

だから、安心して先に進むことができる。

 

 

日々の些事や思ったこと、今日の夕飯のメニューなんかも

案外一年後にメニューに悩んだ時の助けになるかもしれないし、

食べれそうなものはなんでもラップをかけてしまおう。

 

なうろーでぃんぐ、なうせーびんぐ。

 

今日の夕飯は豚汁でした。