Qの箱庭

ショートストーリー仕立ての毎日

証明

(昨日の出来事。本文中の「今日」はぜんぶ2/5のことです)

 

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税の証明書とやらを取りに、一年ぶりに市役所に行った。

あまりに久しぶりだったので珍しく迷った。

一度行ったし大体の場所はわかるしあとは地下鉄の駅構内の周辺地図でも見ようと思ったのが間違いだった。そもそも一駅まちがってた。

 

しばらく休みがなかったのでどうしても今日取りに行かねばならなくて

家を出たのはいいけど、家を出て歩き出してから全身の倦怠感に気づいて

そういえばしばらく休みがなかったんだなあと思った。

 

かろうじて見つけたいちばん近い出口に向かって駅構内をずるずる歩く。

さっぽろ駅は出口までやたらと長い。

(本当は大通駅で降りるべきだったんだけど、大通駅も出口まで長い)

 

歩きながら、なんで出てきちゃったんだろうな、とか思ってた。

今日じゃなくてもよかったような気もしてきた。

でも仕事ばかりの毎日でプライベートでやりたいことがなにひとつ出来てなくて

そのうえ今日も家にいるだけで過ごしたら精神的に健康になれない気がしたので

出てきたのだけれど、やっぱり重い体を引きずるのも健康にならない気がした。

 

 

どうにか市役所まで着いて、申請してから5分とかからず証明書をもらって、

こんな紙一枚がわたしの何を証明するんだろう、と思いながら外に出た。

大通はちょうど今日から雪まつりで、多くの人で賑わっていたので

少しだけ行列に混じってテレビ塔付近の氷像の見学をした。

周囲から聞こえる言葉は中国語とわずかな英語ばかりで、でも顔を見たら

日本人にも見えて、わたしにとってこの人たちが日本人じゃないと証明するものは言語しかないのだなあと思った。

 

途中で行列を抜けていつも行く店でヒトカラした。

具合が悪くても基本的に週一ぐらいで行く。行かなければ具合が悪くなるのだ。

着いたとき16時半で、18時以降は料金が跳ね上がるので

90分だけのヒトカラ。わたしはそれを90分間だけの音楽とのデートのように思う。

 

いつも歌う曲でも調子によって全然声の乗り方や採点で出る点数は違って

今日は具合の割に良い点数が出たし出したい声が出た。

歌っている間だけは確かに、その曲はその間だけわたしのものであり、

わたしは歌姫であり、わたしは歌うために生まれてきたのだと思う。

実際は勿論そんなことはないのだけれど。

歌っている間だけは、わたしは今歌っているのがわたしだと証明できる。

そんな気がするのだ。

 

 

今日も歌ってきた、このブログの由来のひとつでもあるQという曲には

”掻き鳴らせ証明の歌”というフレーズがあって、

わたしは今まさに証明の歌を歌っているのだ。なんて陶酔していた。

 

 

帰りはいつもどおり少しだけDDRをして自分を確かめて、

わたしにとって、自分の証明は掻き鳴らすことで、

自分の体を動かして、歩く、歌う、ステップを踏む、

そしてブログを書く、この言葉こそがわたしがわたしである証明なんだ。

そんなことを確かめていた。

 

 

言葉も行動も思想も、

日々変わるからこそ、今日の自分を証明していくことが大事なのかもしれない。