あつあつ豚汁うどんからの卒業
なか卯で親子丼が安かったので、お昼ご飯に親子丼の並と小うどんを頼んだ。ただのお昼ご飯の報告でなんのこっちゃって感じだと思うけど、これはわたしにはすごい進歩だった。
(特に登録してないので、アフィリンクじゃないです)
昨年12月は狂ったようにマルちゃんあつあつ豚汁うどんを食べてた。二日に一回かそれ以上のペースで食べてた。自分こんなにうどん好きだったっけっていう程度には朝は家で作ったうどんを食べ、昼はマルちゃん豚汁うどんを食べ、夜は丸亀製麺で釜揚げうどんを食べてた。マルちゃん豚汁うどんは家で食べることもあるので、職場で安い時にケース買いしてた。
カップ麺売場の担当のお母さんみたいな先輩に「この時期はやっぱりあったかいものがいいわよねえ」なんて言われたので、「いやー、そうなんですよねー」なんて答えたり、お昼の休憩時間が重なった人に「いっつもそれ食べてるねー。好きなの?豚汁うどん」なんて聞かれたりして「そうなんですよー」って答えたりしてたけど、正確には好きというだけじゃなくて、うどんみたいな麺類以外食べられないくらい胃が弱ってた。
米はもう雑炊とか以外は全然食べられなくて、それまでパンとか食べてたのになんかパンもダメになった。うどんかそばかお菓子しか食べられなくて、さすがにお菓子で済ませるのはまずいのでうどん食べてた。ストレスが精神より先に胃にくるので、先月何かと弱ってて大変だった。
今月は気が付くとお昼にパンを食べるようになり、今日みたいに米も食べられるようになった。しかも今までミニだったのが並で平気になった。進歩だ。回復ともいうけれど。それが普通でなくなった生活からすれば、普通であることも立派な進歩であるように思う。
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今日も別の場所でちょっとした趣味の文章を書いたのだけど、そこでも回復することは難しいよね、的なことを書いた。
でも、崩れたことによって新たに感じることはあるよね、ってことも書いた。
昨年体調を崩して以来、普通に歩いたり買い物したりできるのってすごいなあって思うようになった。一日中具合悪くならずに仕事できる素晴らしさ。丈夫な体すごい。
それと、大げさだけど、死にたくないって思ったりした。あと、もし死ぬとしたらあれを残しておきたい、これはやっておきたい、とか、そんなこと。
健康なときは、なんとなく、死はずっと遠いものだと思っていてのほほんと生きていたりしちゃうけど。パンだけじゃなくて、わたし自身だってこのままダメになっちゃう可能性があるんだって、思ってはじめて、執念みたいなものが芽生えて、その仄暗い感情の中に、今も自分の核があるような気がする。