Qの箱庭

ショートストーリー仕立ての毎日

はじける水の力!(言葉遊びの回)

人生は基本的に出会いであると思うし、そうであるはずなのだけれど、出会うためには色々と(指向とか、嗜好とか、思考とか、試行のタイミングだとか。日本語はおもしろい)相手と適合しなくてはならず、日常生活は既に出会ったもので構成されているからさして心配はいらないけれど、新しい日常にするためにはやはり新しい出会いが必要で、けれども条件が足りなくて、変えられなかったり、出会えなかったり。その繰り返しでつくられたものが日常であったり。する。

というのはわたしの日常生活では本来思考しなくていいことなのだけれど、わたしは常に非日常に憧れを抱いているので、どうにも試行を止めることができない。

 


性質的には安定を好むわたしがどうしてこうも性格的に非日常を求めるのか、をたびたび考える。
それはずっと「憧れ」という言葉で解決していたのだけど、どうにも最近の生き急ぐ傾向、身を削って突撃していく傾向はそれだけでは説明できない気がして改めて考える。焦っている、のかな、と思う。

 

わたしが自覚している自分の特徴のひとつに、「他者のよいところが人より(たぶん、少なくとも自分の周りの人間よりは)鮮明に見える」というのがあって、それは小学校時代友達ができずひたすら周囲を観察していたときに慎重(身長、と打とうとして出たけどどっちも間違ってない)と共によく伸びた能力なんだけど、巡り巡ってそれが短所になっているタイミングなのかな、と思う。

 

周囲のすべてが自分より長所がいっぱいあるすごい人に見える。だから自信が喪失する。喪失しすぎて自身を喪失しそうで、焦る。自分がなんだかわからなくなる。だから何かを残したくて、自分自身をどこかに残したくて、突撃して、壁に激突する。何一つとっても覚えるのに時間がかかるわたしにとって、はじめてのことをはじめるのはかなりの負担になる。わかっているけど止められない。走りすぎて息が切れているのに、止まると息が止まりそうなんだ。何を言っているのかわからねーと思うが、俺にもわからねえ(テンプレ)。

 


もっと楽しい日常と出会いたくて就活するのに、焦りが呼んだ多忙からくる疲労で楽しくなくなっちゃって。何のために学生時代に就活しなかったのかわかんないや。楽しくないからやめたんだった。そうだった。当時は何も自分自身が楽しいと思える道が見つからなかったから。出会えなかったから。
でも今は。ちょっとだけ見つかったんだよ。学生してるよりも仕事している方が人間ってよく見えるんだ。自分も他人も。いいところもわるいところも。
だから理由を忘れないこと。QとAを忘れないこと。ガムのように噛み続けて生きていくこと。そのためにつけたきゅーいんがむって名前を、持ったまま忘れてく。忘れていいことばっかり覚えてる。要領わるい。まあそんなもんか、とも思う。

 


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喪失したエネルギーを補うためには美味しいものかな、と思ったのでちょっと奮発して出前をとった。口座に臨時収入が入っていたので取りに行く途中、ふと思い浮かんで口ずさんだメロディーがワールドアウトサイドだったので聴いた。歌詞が刺さって声が震えた。でも水の中にいるような心地よさもそこにはあった。

 

 

せっかく出前を取ったのに、思いのほか美味しくなくてただボリュームだけがあった。同居人のあいるさんと美味しくないって言い合いながらぜんぶ食べた。お腹が膨れて、一緒に飲んだ貰いもののお茶をがぶがぶ飲んでたら体内があんかけ焼きそばとトクホのお茶だけになって、余計な思考が全部流れた。脂肪だけでなく思考まで分解するトクホはすごい。曲といいお茶といい、はじける水の力!って感じだ(どんなニチアサのテンションなのかわからないし、ここでまさかのタイトル)。